今年も雪は降る
 〜じいさんのこと〜

 どんどんどんどん雪は降り、ドームハウスのビーズファームは、今年もすっかりかまくらになった。スキー客の来ない平日は、車もめったに走らず、静かで、なんだかやっと森を独り占めできたような、少しいい気分になる。
 そんな日にふと思い出すのは、じいさんが薪ストーブの前で、かんじきやはけご作りをしていた姿。すぎば(杉葉)がパチパチ燃えた匂い、へくさ虫の匂い、傍らで背中を丸めた三毛猫「サンコ」の甘えた泣き声。
 じいさんの家には、いろんな生き物がいた。やぎ、犬、チャボ、うさぎ、 亀、鯉、ヤマメ、ミツバチ・・。昔は羊も飼って毛を収穫していたと聞く。ヘビが出てくると、じいさんはしっぽを捕まえてぐるぐる回して遠くへ投げた。
 じいさんの家には、いろんな山の食べ物があった。幼い頃に記憶したものは、皮をむくのが楽しいタケノコ、様々な山菜。兄が大好きだった、ぱかっと割って親指の甲ですくって食べるアケビ。蜂蜜を入れて作る山ぶどう液、得体の知れない様々なきのこ、ヌルヌルなめこ汁、うさぎの肉、やまどりやキジの肉を入れた雑煮、「強くなれるぞ」の熊汁、蜂蜜。それと、私は小さな時から、焼いたヤマメに醤油をかけて食べるのが大好きだった。 
 じいさんは、亡くなる前にヤマメ養殖の秘訣を私に教えたかった。しかし、若い私にはとてもそれが未来に価値あることには思えず、聞く耳を持つことはできなかった。
 じいさんの家には、いろんな道具があった。伐採に使ったでっかい鋸。なめこ菌を打つハンマー。自分で家を造ったという大工道具。かんじきの材料を曲げるための型枠。はく製を作るための道具。一度でいいから乗りたかった炭焼きの雑木を運んだという大きなそりもあった。小さな道具や材料が、ごちゃごちゃ入った引き出しは、あざぐ(物色する)のがいつも楽しみだった。
 じいさんの住んでいたこの場所で仕事をしていると、度々人が訪れ、じいさんのいろんな思い出話を聞かせて下さる。それはどれもあったかい。 先日も「利八さんの作ったかんじき、二十年も使ってだよ」と、知らない人が声をかけて下さった。悲しいことに、孫の私はじいさんの手作り品を何一つ持っていない。「山で遭難しそうになったところを助けてもらった。」「道を尋ねただけなのに、お茶までごちそうになって、山のこと教えてもらった。」じいさんは、冬の間や土砂崩れの時に、山への通行を止めるゲートの鍵を預かっていたこともあり、いろんな人が一服していったようだ。
 もしかしたら、じいさんはここで山へ入る人に山を語り、なにげなく山のルールを教えていたのではないか。自分の大好きな山を、安全に、そして大切に楽しんでもらうために。
「まず、上がってお茶飲んでいがねが」と、やさしく、巧みに誘って。

 安藤 利八
 昭和60年(1985年)没 77才 利岳浄心

(平成8年(1996年)2月29日発行 ビーズファーム通信より抜粋)



ハチ蜜の森キャンドル