蜜ロウソク屋の15年目

 10月。二ッケコルトンプラザ(千葉県市川市)主催のクラフト展「工房からの風」に出展させていただいた。鉄、皮、木、蔓、染め、ガラス、写真、フェルト…。日本中から選ばれたいろんなジャンルの作家が、ワークショップ含みの展示を行った。こだわりの作品はもちろん、お聞きした作家達の「もの作り」の哲学には、私も大いに刺激されてしまった。
 特に目を惹いたのは、若手の作家達がたくさんいたことだ。聞けば、各地を回って出展しているそうで、こういったクラフト展は大切な収入と、名を上げるための登竜門的存在になっているのだそうだ。

 私の初めての作品展は、仙台市一番町の高級デパート「藤崎」。の、隣の休んでいた靴屋さんの前の路上だった。 道売り。それは13年前、誰も知らない蜜ロウソクをどうやったら売ることができるか、考えに考えた末の行動だった。
 私は場所を決めると、意を決して蜜ロウソクを広げた。しかし、その恥ずかしさは勢いだけでは押さえ付けられず、しばらくは上を向けず本を読んでるふりをしていた。まだ結婚前の妻は、少し離れた街路樹下のベンチから、アイスクリームを食べながらそっと様子をうかがっていたらしい。
 少したってから私は、恐る恐る通り過ぎる人達を見てみた。すると、だんだん気持ちが落ち着いてきた。というのも、大半の人はまっすぐ脇目もふれずに目の前を通りすぎていくからだ。内心ほっとしたが、それではロウソクは売れない。今度はなかなか見てもらえない寂しさが湧いてきた。
 ついに三十代位の女性の方が足を止めて下さった。「なに占ってくれるの」…。灯しておいたロウソクを見てそう思ったとのこと。そんな感じだったから、たまにしゃがみこんで見て下さる人は、たとえ冷やかしであってもとてもいい人に思えた。そして、自転車を引いた中年の男性がはじめて一本買って下さった。万歳したいほどの嬉しさだった。その日の売上げは3500円。それでもとても嬉しかった。私がありがた志向になったのは、この日がはじまりだったのかも知れない。
 この日のありがたいことは、これだけで終わりではなかった。有名なみちのく工芸店「仙台光原社」に、拾っていただいたのである。店員の方が、たまたま通り掛かりに買って下さったものを、オーナーに見せて下さったらしい。あとから分かったことだが、この「光原社」は、宮沢賢治の「注文の多い料理店」を世に送りだした教育出版社が前身で、現在は全国の工芸店主が憧れる有名な工芸店だったのである。「もうこんなことはやめなさい」。すぐに盛岡本店でも販売していただき、私は定期的な収入をはじめて得ることができた。しかも「光原社で扱っているものなら」と、全国各地からも注文をいただけるようになった。その出来事は、道ばたに捨てられた惨めな子犬の私を抱き上げていただいたような、ほんとに嬉しい出来事に感じた。今でも思い出すたびに、ありがたい気持ちでいっぱいになる。

 実は、この日のありがたい展開は、これで終わりでもなかった。それは、高橋昌平さんとの出会い。帰り道のこと。仙台から笹谷峠を越え山形市に入ると、以前から気になっていた貨車を改築した喫茶店「エスプレッソ」が目についた。前に一度だけ入ったことがあって、その時にロウソクが飾られていたことを思い出して、入ってみることにしたのだ。
 当時、山形ではめずらしいエスプレッソコーヒーの濃厚な香りの中、主人の高橋さんが、やさしく私たちに声をかけて下さった。私は思いきって、蜜ロウソクが入っている小さなバックを開けた。すると高橋さんは「今晩うちにこないか」と、見ず知らずの私たちを自宅に誘って下さった。
 すぐ隣にある背の高い市営アパートの扉を開けると、ブラジルからいらした日系3世の奥さんアケミさんと、二人の子どもさんがあったかく出迎えて下さった。挨拶もそこそこに、私たちは呆然としてしまった。取り外された既成の建具、大柄な無垢の家具、綿糸で編み込まれたシェードを透かし出すやわらかな明かり。贅沢ではない豊かさが、まるで映画に出てくる外国のお宅のようだった。私たちは充分にカルチャーショックを感じていた。そして、なによりもショックだったのは、壁一面に飾られていたロウソク。 釘付けになってしまった。たくさんのロウソクの様々な形と色。それはまさにロウソクと呼ぶよりはキャンドルと呼ぶにふさわしい、心踊るものだった。その頃の私は、まだまだパイプの型で抜いた円柱形のもの位しか作っていなかったので、それらのキャンドルはとても衝撃的だった。昌平さんが若い頃、世界中を旅していた時に集めたのだそうだ。
 キャンドルの灯りとレコード板から流れるクラシック音楽。バターライスのおいしい夕食やワインまでいただいて、私たちは不思議の家に迷い込んでしまったように、気持ちいい空間と食事を楽しませていただいた。そして帰る頃には、私の中ですっかり新しい価値観が生まれていたのである。高橋さんご夫婦には、その後も大変お世話になった。ひたすら感謝、感謝だ。
 思い起こすとあの一日は、駆け出しのロウソク屋にとって、ほんとにありがたい一日だった。収入の喜びを知り、販路拡大、キャンドルのデザインと灯りの文化の学び。間違いなくあの日は、私と蜜ロウソクのデビューの日だったといえる。


 「メリークリスマス! 私の蜜ロウソクが多くの人の幸せと平和を願う一助になりますように」

(2001年12月 通信「ハチ蜜の森から」No.22より抜粋)



ハチ蜜の森キャンドル