森作り町づくり

 トチノキは、在来樹木のなかで最も蜜(みつ)を恵んでくれる「蜜源樹」である。百年木なら、一日一斗の花蜜を分泌するといわれている。東北や中部地方の広葉樹の森に分布しているが、残念なことに、昭和三十年代から進められた国の拡大造林事業により、ほかの広葉樹と同様にその多くが姿を消してしまった。
 危惧(きぐ)した山形県の養蜂協会では、四十年以上も前から、支部ごとに植栽や下刈りなど蜜源増殖事業に取り組んできた。どれだけ生き残っているかは不明だが、累積で三万本以上を植えた計算になる。
 トチノキは、花を咲かせるようになるには最低でも十五年はかかり、たくさんの花をつけ、たくさんの蜜を出してくれるようになるには、四、五十年はかかる。気の長いこの事業も、成果を得られる日はだいぶ近づいてきた。その恵みを享受することなく亡くなった祖父や父たち、養蜂協会の諸先輩方の志を想像すると、感謝の念に堪えない。
 話は変わるが、私の住む山形県朝日町では、「自分さがし」ならぬ「地域さがし」を、フランスで生まれた「エコミュージアム」の考えをもとに、およそ二十年前からこつこつと続けてきた。
 地域を見つめ直し、誇りを持ちながら、見つけた地域らしさを町づくりに生かしていこうとするこの取り組みは、地域全体をまるごと博物館ととらえ、環境と住民のかかわりを、住民の知恵や技、記憶に頼り、表す活動である。
 「自分さがし」と一緒で、自分たちの町のことを誰かに教わるのではなく、自分たちでこつこつと確かめていく。自分たちで地域を知ればこそ愛情がはぐくまれ、誇らしさを得ることができる。そして、そこからなにかしらの創造や生産が生まれることも期待される。成果を得られるようになるには、十五年はかかるだろうと予想してきた。
 新しいもの都会的なものに、絶対的な価値があった高度経済成長時代。時代から最も懸け離れた田舎ほど、大切な知恵や技、記憶、そして遺産などの地域の「宝」は価値をなくした。気付いた時には、土地に対する愛情が薄れ、人と人のきずなも薄れ、田舎を卑下した多くの人が都市部に移住していった。日本中が「地域らしさ」を見失った。経済発展と引き換えに生まれた負の社会現象の一つといえるだろう。
 私の所属する朝日町エコミュージアム協会は、精通する住民の皆さんを講師に見学会を開いたり、聞き取り調査をしたりするお手伝い役の組織である。
 ちらほらうれしいことが起こっている。神社に光をあてた時には、雅楽保存会がおのずと誕生し、酒蔵の時はファンクラブが生まれた。住民講師陣は学校の郷土学習で大いに活躍し、培ったデータは、観光や整備事業の参考にもされ始めた。表した町の魅力を求め、外からの訪問者も少しずつだが増えている。住民の町に対する誇りや愛着度については、測れるものではないが、もう「何もない町」と言う人はいないのではないか。
 だが、残念なことに、これらの取り組みを経済的な物差しのみで測り、異論を唱える方もいらっしゃる。経済的なことがすべてとは思いたくないが、説得力のあるその物差しにかなう直接的で大きな成果は確かにまだ得られてはいない。
 しかし、本来町づくりも、前述のトチノキの成長と同じだと思うのだ。まだこの町は、ちらほらの花しか咲かせてはいないが、確実に根を広げ、幹を太らせている。焦らずに成長を見守ってほしい。
(2008年6月 河北新報「座標」掲載)