蜜ロウソクの魅力
なにしろ蜜ロウソクの色に焦がれている。炎が蜜蝋の色を美しく透かし出すのだ。
溶け口が広がるにつれ、黄色や橙色の蜜蝋の色が、厚みや温度により鮮やかなグラデーションを描く。光がやっと届く下部は、深く鈍い色だが、炎に近づくにつれ明るい色に変化する。赤っぽい炎と相まって、全体が優しく静かに薄橙色の光を放つのである。
その絶妙な色は、じわじわと心に染み、部屋全体もその優しい光に包まれると、私はいつも安堵な時間を手に入れることができる。優しくて、暖かくて、嬉しくて、ありがたくて、ちょっと恐々で、ちょっと切ない。私の心も様々なグラテーションを描き出す。
だが、悲しいことに、この色は実にはかない。めずらしいからと飾ってしまえば、気付かぬうちにしだいに退色が進み、小一ヶ月程でその変化に気付くことになる。トーンが落ちて、茶系や白系の色になってしまうのだ。
最大の原因は紫外線である。太陽の光はもちろん、電気照明すらも色を破壊する。工房では、種類ごとに一本を見本のために裸にしているが、日ごと色あせして行く様子を見る度に心は痛む。さらに、包装しているものでも二、三ヶ月経てば、やはり悲しい色に変わり始める。
儚いからこそ、さらに愛おしくなるのだろうか。蜜蝋と四半世紀も向き合ってきたのに、未だこの色をもたらす蜜蝋に惹かれ続けている。もちろん私のみならず、使い続けて下さるお客様は、同じように魅了されている。そして、それはこの蜜蝋が、ミツバチと森がもたらしたものであることを知る時、益々愛おしいものに変わるのだ。
右が色あせた蜜ロウソク |
蜜蝋は、ミツバチの巣のことである。三代目を継ぐ私の弟は、200群を持つ大規模養蜂家。初夏の採蜜期は私も手伝い、収穫した巣はありがたくいただいてくる。
ただ、ハチミツは一群れから年間50kg以上も収穫できるが、蜜蝋はたった500g程しか採れない。私は、地元朝日連峰や月山をはじめ、奥羽山系各地の大規模養蜂家からも仕入れて製造している。
収穫する巣は、採蜜時に切り取る「蜜蓋」が主となる。これは、蜜が巣穴に満タンになると、保存のためにろうで密封する蓋のこと。これがあると、遠心分離機でまわしても蜜は出てこないので、蜜刀と呼ぶ長い包丁で切り取るのだ。また、巣枠からはみ出して作られた「ムダ巣」も大切な収穫物となる。
収穫した巣は、すぐにお湯で煮る最初の精製が行われる。ムダ巣には、幼虫が入っている場合もあるので、腐る前に取り除く必要がある。また、巣そのものにはカビも生えるし、巣虫と呼ぶ蛾の幼虫が食い荒らし、排泄臭を付けることもあるのだ。
お湯で洗われた巣は、一晩経てば分離し、浮かんで固まった蜜蝋だけを取り出すことができる。色が凝縮され、初めて鮮やかな黄色や橙色を見ることができる楽しみな作業だ。
色あせ・変色は、この収穫・精製段階でも起こる。古い巣の収穫、収穫後の放置、精製時の温度の上げ過ぎなどが原因となる。まちがった精製方法により、茶系や白系も本来の色だと思いこんでいる養蜂家も多い。実家の蜜蝋はもちろん、ご理解いただき売って下さる養蜂家の皆さんの蜜蝋も、ほとんどがきれいな黄色やオレンジ色をしている。
製造を始めた頃、「蜜蝋の色は、花粉の色が表れる」と、玉川大学ミツバチ研究施設の故吉田忠晴教授に教わったことがある。ミツバチは、ハチミツを食べて体内で蝋に変化させ、腹部から分泌し巣材とする。その食べるハチミツの中に溶け込んでいる花粉の色が、蜜蝋の色として表れるのだそうだ。
たしかに、森の中で最も多くのハチミツをもたらすトチノキの花粉は濃い橙色をし、その季節の巣は薄橙色をしている。そして蜜蝋は、きれいな橙色になる。同じように、黄色の花粉のキハダやニセアカシアの季節は、黄色の蜜蝋が収穫できる。蜜蝋の色は、蜜源植物がもたらした奇跡の天然色なのである。
さらに驚くことに、ミツバチは食べた蜜の量に対し分泌できる蜜蝋の量は、たった10分の1程なのだそうだ。ミツバチは、小さじ一杯のハチミツが一匹の生涯の働きとされる。蜜蝋は、まさに小さなミツバチがもたらした命の結晶といえる。
トチノキが葉を橙色に色づかせる季節、雑誌の取材があり、朝日連峰大朝日岳山麓に広がる原生林を案内した。朝日川沿いに広がるこの森には、たくさんのトチノキが自生する。蜜源の森のことを、私は「ハチ蜜の森」と名づけている。ミツバチ達は、めったに人が訪れないこんな深い森の中も、自由に飛び回り、蜜を集めてくるのだ。
静寂な森に、カラカラと葉が落ちる音が響く。変わらずトチの大木たちは、木肌にうろこ模様を配し、威厳を誇っている。この森を歩いていると、なぜかいつもじっと見られているような厳粛な気持ちになる。都会からいらした取材陣も言葉少なになった。
見上げると、色づき始めたトチの広い葉から、太陽に透かし出された橙色の光が降り注いでいた。この季節にだけ感じられるやわらかな光だ。優しくて、暖かくて、嬉しくて、ありがたくて、ちょっと恐々で、ちょっと切ない。この森に抱かれて、私はいつも安堵な時間を手に入れることができる。
焦がれる蜜蝋のともしびをもたらしてくれる森。大切な母なる森である。
(2012年12月 グリーンパワー1月号(森林文化協会)連載「ハチ蜜の森のともしび」より)
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