繋がり伝えたい体験教室
「安藤さんはミツバチから食べ物もおうちも取って悪い人だ。ミツバチがかわいそう。私はハチミツ食べない」。体験教室を始めたばかりのミツバチ観察会の最中に、小学2年生の女の子に怒られたことがある。
若い私は、その一言にすっかり意気消沈してしまった。突き詰めて考えれば、彼女が言うように、養蜂業者も、蜜ロウソク製造業の私も、さらには消費者もいないほうが自然にはいいのだ。「森と人の距離を縮めたい」と、純粋な気持ちで始めた体験教室だったが、いきなり出鼻をくじかれる出来事となった。
夏休みの私の工房は、体験する親子連れで賑やかになる。蜜ろうそく作りやミツバチ観察会、森の案内、灯りのワークショップなど、蜜ロウソク製造当初から併行して取り組んできた。
体験教室を始めたきっかけは自然保護活動だった。当時は拡大造林事業や大規模林道建設、砂防ダム建設、ゴルフ場開発など高度経済成長を目的に、国を挙げて自然を破壊する取り組みが成されていた時代である。胸が痛い思いを感じ、私も地元の自然保護団体に入り、行政やゼネコンの計画する反対運動に参加したが、少数派の意見ではなかなか世論までは動かせないジレンマをいつも感じていた。
そんな折、西澤信雄氏が仲間達と、地元の子供達に地元の自然や文化を体験させる活動を行っていた。西澤氏は滋賀県出身の方だが、40年も前に朝日連峰の自然を守るため、朝日鉱泉のつぶれかかった湯治宿を山小屋として再建し、様々な環境活動をなさっている方である。
声をかけていただき、私もミツバチ観察や蜜ロウソク作り体験で講師を務めさせていただいた。子供達が驚きの目で体験している姿を見て、森の魅力を、ミツバチを通して伝えられたことに感動した。これこそもう一つの自然保護活動だと思い、翌年にはスタッフに入れていただいた。そして、体験の基本や方法を学びながら、コンセプトを「自然やミツバチと仲良く」にする「ミツバチの森体験教室」を自分でも開催するようになったのである。
また、ちょうど同じ頃、友人に勧められたシュタイナー教育の本で、とても心惹かれる一節を見つけることができた。シュタイナー教育では、子供達に様々な体験をさせているが、それは技術を習得させるためではなく、体験したものと一生涯親しい気持ちで過ごせるようにするためだというのである。
ちょうどその頃に家族で体験した陶芸のことを振り返ると、確かに陶器に対して以前よりもはるかに親しみの気持ちがわいていることに気づいた。また、様々経験したアルバイトを振り返れば、辛い思いもあるが、やはりどれに対しても親しみの気持ちがわいて来る。それならば、養蜂や蜜蝋を体験した人は、自然に親しい気持ちになってくれるはずである。体験教室を開くことの意義を確信することができたのである。
そうして意気揚々と始めた体験教室だったが、前述の意気消沈する出来事がまもなく起こったのである。それ以来、体験教室をする意欲が湧かない中、なんとも気持ちの悪い思いでの受け入れが続き、悩みに悩んでいた。
私たち人間の衣食住は、多くの動植物の命を奪っている。蜜ロウソクも小さなミツバチ達の命の恵み。一匹が一生かかって集められる蜜の量は、わずか小さじ一杯程度。さらに、そのハチミツを、おなかの中で十分の一の蝋に作りかえ、分泌し巣を作る。不用な巣を収穫しているとはいえ100グラムの蜜ろうそく一本には、概算で300匹以上の一生涯の働きが詰まっている。考えれば考える程、彼女の言うとおり「かわいそう」である。
だが、ハチミツは大昔から栄養や薬として、人の健康に貢献してきた歴史がある。ミツバチに依る農作物の受粉は私達に食料をもたらす。蜜蝋は、灯りをもたらしたロウソクのほかに、口紅やクリームなどの化粧品、軟膏や座薬などの薬品、木や皮製品などの仕上げ剤、鋳造の蝋型、接ぎ木、画材、絶縁、ろう紙、ろうけつ染め、基板接着、食蝋としてガムや焼き菓子にも使用されている。今や私たちの生活から切り離すことのできないありがたい恵みなのである。
悩んだ末に、ついにひらめくことがあり、教室名をそれまで使っていた「ミツバチの森体験教室」から「ハチ蜜の森体験教室」に変えてみた。対象を「ミツバチ」ではなく、私たちがいただいている恵みの「ハチ蜜」や「蜜ろうそく」に変えたのである。内容はほとんど変わらないが、私の伝える姿勢が変わった。
おいしいハチ蜜や優しいあかりの蜜ろうそくは、どうやって私たちの前に表れるのか。蜜ロウソク製造や養蜂の仕事のこと、ミツバチの働きのこと、蜜をもたらす蜜源植物のこと、そしてそれらを抱える自然と、その繋がりをたどれる内容にしたのだ。秘めたコンセプトは「感謝」。それまでの漠然とした人の関わらないコンセプトはきっぱり止めた。全てを尊重してもらいたいと願った。
何度か実践しているうちに、子どもと一緒に参加したお母さんから「うちの子は、皿にこぼれたハチミツまでぺろぺろ舐めるようになりました」と感想の手紙が届いた。正解をいただいたようでとても嬉しかった。
世の中の動植物は、「もらって返す」の言わば等価交換の食物連鎖で繋がっているが、私たち人間は多くの命をいただいていても、何も返せていないどころか、奪うだけの自然破壊や食べ残し、使い捨てが横行している。環境に限界が見えはじめた現代でもそれは止まらない。せめて、食べる度、使う度に、感謝の念を感じられたなら、なにかしら返す行動に近づけるのではないだろうか。生産や製造する者の多くは、他の命に手を掛け消費者に渡す仕事である。私はその一人として、繋がりを伝える一片の役割をいつまでも担っていこうと思っている。それが私にとっての返す行動であるのだから。
(2013年7月 グリーンパワー9月号(森林文化協会)連載「ハチ蜜の森のともしび」より)
ミツバチ観察会で味見、蜜蝋キャンドル作り体験、ハチ蜜の森歩き
|