ラオスの森キャンドル


 入道雲を見上げると、暑いラオスのことを思い出す。3年前、JICA(国際協力機構)がサポートする「一村一品運動」の技術支援アドバイザーとして、蜜ロウソク製造の指導にあたったことがあった。目標は、ラオス国内や国外からの観光客の土産品となること。
 実をいうと、依頼を受けたものの、忙しさもあり、なかなか心が動かず一年以上も保留してしまっていたのだ。だが、ある時担当職員から森の減少で、ハチミツも蜜蝋も収穫量が減っていることを知らされた。大規模なゴムのプランテーション(植栽)や異常気象が原因だという。心は揺らいだ。
 いただいていたラオスの蜜ロウソクに、改めて火を灯してみた。やはり煤が出、炎は尖り、蜜蝋本来の美しい炎ではなかった。15センチ程の細長い形だが、作りもなんとなく粗末に見える。ラオスでは、蜜ロウソクは寺院にお供えするもので、インテリアや癒しを目的に灯すことはないそうだ。
 一緒にいただいていた蜜蝋を使い、普段の私の方法で、灯して楽しめる形を試作してみた。すると、何も問題なく美しい炎で灯すことができた。独特のいい香りもあり、魅力的なテーブルキャンドルになった。
 この蜜ロウソクを、森の恵みの象徴「ラオスの森キャンドル」とブランド化し、国内外の多くの人に美しい灯りを知らしめることが、収入とともに森の価値を見直す小さな一片となるかも知れない。安直な熱い思いが、胸に込み上げてきた。
 日本と大差ない風景の首都ビエンチャンを抜けると、どんどん昔へタイムスリップする様に田舎の風景が広がってきた。人の生活域と境のないハイウェイには、牛や山羊など家畜の群れが度々道を塞ぐ。バイクの二人乗りや、犬の放し飼い、車が通り過ぎたあとの砂煙などは、子供の頃の風景を思い出させた。
 初日はサバナケット県を訪ねた。ここでは、蜜ロウソク作りを見せていただいた。吊り下げられた糸に温めた蜜蝋の固まりを付け、手のひらをすりあわせながら巧みに細く伸ばしつけている。まるで機械のように、あの細長いロウソクがどんどん出来上がっていく。見事な職人技である。私も体験させていただいたが、予想どおり凸凹な恥ずかしい仕上がりとなった。
 私のわずか20数年の歴史に対して、ラオスでは大昔から伝統として蜜ロウソクがこうして作られていたのだ。粗末な作りと思っていた気持ちは反省させられ、尊敬の念に変わった。
 さっそくインスタントにこしらえていった小さな道具を使って、灯して楽しむためのテーブルキャンドルの作り方を紹介した。しかし、熱源が火力調整できない炭だったり、高い気温に邪魔されたりして、情けないことに教える側が教えられるようだった。もしかしたら、一方的な押しつけに感じ取られたのかも知れない。ラオスの職人たちのプライドも強く感じた。
 翌日、次の目的地への移動中、コンクリート製の大きくて高い水道タンクの下に、野生のミツバチが三群むきだしの巣でぶら下がっているのを見つけた。ラオスでは、畜産種ミツバチによる養蜂はわずかで、ハチミツも蜜蝋も大半は野生のミツバチからの収穫物だという。
 見た事のない果物が並ぶ近くの市場では、蜜ロウソクが他のお参り用品と共に束になって売られていた。蜜蝋は、神聖な灯火をもたらすお供えとして確かに使われているのだ。
 もう一つの訪問地サラワン県では、反省も踏まえ、私が伝統ある蜜ロウソク作りに感動したことを、初めに通訳者からきちんと伝えてもらった。幸いな事に、あたたかな雰囲気の中、みんな楽しそうに作って下さりほっとした。
 しかし、やはりここにも日本にあたりまえにある道具がない。美しい炎の蜜ロウソクを作れるようになるには相当に入れ込まないと難しいことを感じた。
 手伝って下さった青年海外協力隊の若い女性は、藤つる細工を担当していた。驚くことに、藤つるを採る森がなくなってしまい、植栽を始めているという。確かに森は減っているのだ。
 帰りの車中、ゴムのプランテーションがどこまでも広がる風景を見せてもらった。植栽に備えて痛々しく伐採している所もある。多くの広葉樹を切り針葉樹に代えていたかつての日本と似ていると思った。
 あとから分かったことだが、ラオスは長年貧困国として位置づけられてはいたが、実際には、水稲や、焼き畑、そして森からの豊富な収穫物により、生活そのものは豊かな国だったのだそうだ。しかし、中国やベトナム資本のゴムのプランテーションがもの凄い勢いで広がり、国は国民に自由に使わせていた森をどんどん売ってしまった。その結果、首都ビエンチャンなどの大きな町には急激な都市化がもたらされたものの、農山村部では、森からの収穫が減り、狭い土地での焼き畑も成り立たなくなり、人々の貧困化は本当に進んでしまったのだ。国はそんな農山村部の経済力を高めるために、「一村一品運動」を実施すべく、本家の日本へ協力を求めてきたという背景がある。
 その後、結局吟味された蜜ロウソクはできなかった。それでは魅力は伝えられないし売れない。だが、内心ほっとする自分もいた。なぜなら、野生のミツバチをさらに消費消耗させるかも知れないし、寺院のお供えにする長年の伝統を害することにも繋がるかも知れない。
 考えれば考える程、悶々とし、現在もその答えを見い出せてはいない。だが、ラオスの変わらずにはいられない時代の入口に、一つの価値観の種を落としてきたことは事実だ。いつか、生活のため、そして伝統や森を守るための一つの手段として、彼ら自身の欲求でうまく応用してくれることを心から願っている。その時には、すぐに駆けつけたい。私の大切なハチ蜜の森は、ラオスにもあったのだから。

(2013年9月 グリーンパワー10月号(森林文化協会)連載「ハチ蜜の森のともしび」より)

 

上より、 ラオスの伝統的な蜜ロウソク作り
どこまでも広がるゴムの植林
ラオスの蜜蝋で試作したロウソク


ハチ蜜の森キャンドル