冬越し


 晩秋、花がなくなると、女王蜂は産卵をやめて徐々に少ない家族になります。実家の200群のミツバチ達は、春先の花粉交配や採蜜に間に合わせるため温暖な南房総にトラックで引っ越し冬を越します。私が飼っている観察巣箱用のミツバチは、雪の下で、分厚いスチロールに覆われた巣箱の中で、蓄えた蜜を食べながら体温を維持し、静かに冬を越しています。
 雪の中での冬越しは、雪が降るまでに確実な準備が必要です。巣箱に入っている巣板の枚数を群の大きさに合わせてなるべく減らし、空いた隙間にはスチロールを入れます。部屋が広いと、暖をとるために余計に体温を使い寿命を減らしてしまいます。衛生状態も悪くなりカビが生えてしまうこともあります。蓄えさせる蜜の量も、多すぎるとやはり体温を奪われ、少なすぎると体温を上げられず寒さと飢えで死んでしまいます。また、春は雪の下で暖かさを感じると、女王蜂は産卵を始めますので、幼虫の餌となる花粉も十分に蓄えられていることが大切です。
 うまく調整したつもりでも、失敗することが多々あったので、私は冬じゅう外を見るたび雪の下が気になってしまいます。


 さて、先日のこと。地元東北芸術工科大学の学生たちに、私の考案した「あなたの宝を教えてください」と題した聞き書き体験ワークショップを指導する機会がありました。
 私の住む山形県朝日町では30年近く前から町全体を博物館ととらえる町づくり「エコミュージアム」に取り組んできました。有形無形な町の「宝」について、学術者だけでなく、宝に関わり精通する住民から教わり、光をあて、町全体で共有し、町作りや生活に活かす取り組みです。いわば地域のアイデンティティー探し活動といえます。その活動においての大切なスキルが「聞き書き」なのです。
 私がこの活動に参加するようになったのは、当時進められていた森林伐採や様々な自然破壊により養蜂の場が奪われ始めていた現状を、エコミュージアムを通して知ってもらえるのではないかと思ったからです。
 現在私は、エコミュージアム活動の運営母体NPO法人朝日町エコミュージアム協会の副理事長、さらに日本エコミュージアム研究会の理事を務めています。町外や県外に出かけてエコミュージアムや聞き書きの魅力を伝える機会も増えてきました。
 ちなみに、私の初めての聞き書きは、町の養蜂家10人の皆さんでした。朝日町で蜂を飼う方が減り、朝日町養蜂組合が解散したばかりの20年以上前になります。緊張しながら一人一人を回って話を伺いました。すると、飼育するきっかけが人それぞれに違うことや、養蜂をとりまく時代背景や自然環境の移り変わり、農産物とミツバチの関係など、父や祖父から聞いていたことだけでない、様々な興味深いエピソードを聞くことができました。
 そして稚拙な作りですが、小冊子『みつばち〜朝日岳山麓の養蜂の営み〜』を出版することができました。すでに私の父をはじめ、7人の方が亡くなられていますが、いまだにページをめくれば、皆さんの「宝」だった養蜂の魅力について語りかけてくださいます。
 
 大学では、教室に集まった54人の学生に6人ずつ机を囲んでもらいました。一人3分間自分のふる里のとっておきの宝について存分に話し、もう3分で聞いていた5人が質問をして記録します。宝を話す表情は、みんな生き生きと楽しそうで、終始賑やかでした。全員の発表が終わったら10分間で右隣の方の宝について責任をもって清書してもらいました。不明なことは質問しなおし、書き終えたら確認してもらい修正します。1時間後、要約ではありますが54人のとっておきの宝を綴った聞き書き集「芸工大生宝物語」と題した即席の冊子が出来上がりました。宝が浮き彫りになるばかりでなく、聞く楽しさ、話す楽しさ、お互い心がほっこりすることを実感してもらえたらいいなと思いました。
 実はこのワークショップには、隠されたコンセプトがあります。自分のアイデンティティーに出会う「自分探し」でもあるのです。自分のとっておきの「宝」にこそ、時代や情報に流されない素の自分自身が隠れているのです。実は、私自身がそうだったのです。自分の宝に向き合った時、本当の正直素直な自分に出会えました。


 私は、下宿して通っていた山形市の高校を卒業すると、父が体を壊していたこともあり、朝日町に戻り家業の養蜂を手伝うようになりました。しかし、まもなく若い私は、田舎生活に辟易するようになりました。なにしろ時代は高度経済成長時代の過渡期です。新しくて便利で自由な暮らしはキラキラした都会にあったのです。田舎の朝日町は、古くて不便で暗くて運命共同体を強いるしがらみだらけでした。私はすっかり、田舎に住む都会かぶれの若者でした。うかつに家業を手伝ったことを悔やむようになり、とにかく東京に行かないと人生の扉は開けないと思うようになっていました。
 しかし、すでに両親は私に期待し頼ってくれていることを思うと、出るに出られず、悶々と日々を過ごしていました。友人達が都市部で活躍していることを横目に、私は落ち葉と雪に埋もれているような、まさに人生の冬状態だったのです。
 ところが23才のある日のこと、尊敬する山形市に住む先輩から、朝日川で渓流釣りを教えて欲しいと頼まれ案内したことがありました。なにしろ、その朝日川は、子供の頃からの遊び場だったのでお安い御用でした。
 ポイントごとに川を上りながらの渓流釣りは、先の人が釣れるので、先輩を先に進めました。先輩はどんどん上って行き、気づくと私一人がポツンと川原にいる状態になりました。私はそこで不思議な体験をしたのです。辺りの雑木がざわざわと風で揺れ、川の流れる音がザーッと大きく迫ってきたのです。私は次第にいてもたってもいられなくなり、慌てて先輩を追っていきました。
 翌日、その感情が忘れられなくて一人で釣りに行ってみました。すると、やはりいてもたってもいられなくなるのです。そんな気持ちを分析したくなり、我慢して石に腰かけていると、まもなく川で遊んだ子供時代の思い出がよみがえってきました。祖父に教わった渓流釣りのこと。石で細い流れをせき止めて魚をつかみ取りしたこと。ヤスで捕らえたカジカを川原で塩焼きにして食べたこと。この朝日川は、私の宝ものだったのです。
 とたんに川原はあったかくて居心地のいい場所に変わっていました。そして、目から鱗が、ぼちゃっと川に落ちたと思いました。都会に行かなければ、ないと思っていた人生の扉が、目の前に現れた瞬間でした。 
 今思えば、時代に流され都会を追う自分と、本当の田舎好きな自分との葛藤が、かつての遊び場だった朝日川で、いてもたってもいられない感情にさせていたのでしょう。まるで、子供の頃に遅く帰って母親に叱られたような気持ちとそっくりでした。
 自分らしさに出会えた私は、それから程なくして、ミツバチの巣で蜜ろうそくを作りました。その灯りに大変惹かれてしまい、試作を重ねた 2年後にはあっさり独立し、日本で初めての蜜ろうそく製造を生業とするようになっていました。元の価値観のままではこの展開はなかったでしょう。こうして私は、人生最大の冬を越すことができたのでした。

(「季刊地域」(農文協) 32号 2018冬号 連載「 ハチミツの森から」)掲載

 

ハチ蜜の森キャンドル