燻煙器(くんえんき)

 「これは何をする道具ですか?」
 ある民族資料館を訪ねた時に、何も表示されていない燻煙器をぽつんと見つけて、なんだかかわいそうに思え、意地悪な私は学芸員にこんな聞き方をしてしまいました。質問があれば、きっと他の展示物と同様に表示してくれるのではと思ったのです。
 するとその学芸員は「これは薪ストーブの吹子です」とおっしゃり、手にとって丁寧に使い方まで熱心に教えてくれました。私は予想しない答えにとまどい「そうですか」と思わず相づちを打ってしまいました。聞いておきながら本当の事を教えるのもなんだか申し訳なく、バツが悪くなってしまったのです。結局、胸を痛めたまま資料館をあとにしました。 
 燻煙器は、ミツバチをおとなしくさせるための煙を作る道具で、刺されることを防ぐために、養蜂ではなにより欠かせない道具です。そのしくみや使い方は実に簡単です。まず銅板やブリキ板で作られてある円筒形の吹き口をはずして、火をつけた新聞の固まりを入れます。すかさず吹子で何度も風を送り込み、勢いのある火をおこし火種を作ります。そして新聞紙や麻布の固まりをもう一度入れて、吹き口をしめ、吹子で風を送り、煙が勢いよく出れば火付け完了です。
 巣箱のミツバチの機嫌を見ながら、時々吹き掛けて作業を進めます。上手くいくと、新聞紙一枚で30分以上作業をこなすことができます。 燃え尽きそうになると、火が吹き口から出るので、新しい新聞を補充します。この火付けが上手くいかないと作業中にすぐに消えてしまい、やり直さなければならず、余計な手間が掛かってしまいます。18年もやってきて未だにそんなことが度々あって、その度にちょっと情けなくなってしまいます。
 情けなくなるのは、時間をかけて蜂場まで来たというのに、燻煙器を忘れてしまった時です。ある時は、蜂場でトラックを移動させようとして煎餅のように平らにつぶしてしまい使えなくなったこともありました。 いくら養蜂家でも、煙なしではミツバチに向かえません。一度、新聞紙を丸めて燻したものを、口で吹きかけながらやってみたことがありますが、結局たくさん刺され、泣く泣く取りに帰ったことがありました。燻煙器はよくできた道具です。きっと近代養蜂を大きく飛躍させる礎になったに違いありません。
 十代の頃、違う目的で利用したことがありました。活動していたロックバンドのコンサートでスモークとして使ったのです。照明がレーザー光線のように見え、演出効果は抜群でした。しかし、お願いしたスタッフが面白くて必要以上にいぶしてしまい、客席ではみんなせき込んでしまう事態になってしまいました。
 若い頃に、恥ずかしい思いをしたこともありました。銀行に勤めている同級生の女性が、「ハチミツ屋さんが来ると臭いで分かる」というのです。すぐに自分の服に鼻を当てて気付きました。それは燻煙器の煙のいぶ臭さだったのです。それから私は、蜂の仕事から帰ると必ずすぐに着替えるようになりました。
 あの民俗資料館に限らず燻煙器が展示してある所は多いです。そして共通しているのは、どれも古くてきれいなのです。それはおそらく、養蜂が大きなブームになった大正や昭和の始め、現代のように技術も確立されていない時代に、うまく飼えなくてすぐにやめてしまう人も多かったことを意味すると思います。きっと燻煙器だけが新しいまま納屋で眠ってしまっていたのでしょう。そんな活躍できなかった燻煙器が民族資料館でも活躍できなくて、私は少しかわいそうに思ってしまったというわけです。

 (平成12年5月 通信「ハチ蜜の森から」19号より抜粋)

ハチ蜜の森キャンドル