天敵 ツキノワグマ
一昨年のこと。月山四ツ谷蜂場のミツバチが、ついにクマに襲われてしまいました。ここは山奥にも関わらず、クマの被害がなかった場所でした。
「きっとあの熊が死んだんでないか」。
あの日のことを父と思い出していました。
まだ父と養蜂の仕事を専門にしていた20才位の時だったと思います。空がやっと明るくなりはじめた早朝でした。採蜜の準備をしていた私は、背中ごしの気配に気付いて振り返りました。すると大きなツキノワグマが、私の5m程後ろをのしのし歩いて、やぶの中へ入っていったのです。クマの背中は波打っていました。それが、私がはじめて見た野生の熊でした。その時の驚きは、表現しようがありません。
私はすぐ、両親に向かって「クマだー」と叫びました。すると父は、落ち着いた口調で「つぶしとけー」と言うのです。笑い話ですが、父は、このあたりで「クマバチ」と呼んでいる「オオスズメバチ」が飛んで来たと思ったのです。私はすかさず、「本物のクマだー」と叫びなおしました。すると、やっと父も状況が分かったらしく、すぐにハチミツの空缶を、拾った棒でガンガン叩きながらやぶの中に入っていきました。そればかりか「おーっ、おーっ」という雄叫びも上げていました。なんと、父はクマを追い立てているのです。一瞬、理解不能でしたが、すぐに状況が分かり、私も参戦すべくトラックのクラクションをブーブー鳴らしました。私は、クマが慌てて逃げていくのを想像していました。
「ここはまだ一箱もやられていないから、きっとあのクマはここに蜂がいることにまだ気づいていない。今追い立てれば、ここは恐ろしい場所だと思い、来なくなるかもしれない」。帰って来た父は言いました。一連の行動は、これまでの経験からの一瞬の判断だったというわけです。
案の定、クマはそれからずーっとこの場所には現れませんでした。
ハチミツが大好きなクマは、養蜂業に昔からつきものです。毎年必ず数箱はやられてしまいます。父がかけ出しの頃は、40箱やられたことがあったそうです。
クマのハチミツの食べ方はとても乱暴です。やられた巣箱の残骸は、いつもバリンバリンに壊されています。巣板は、まるでスイカを食べたように、木枠だけが残っています。ミツバチごと食べてしまうのです。ある時は、50mも離れた所まで運んで食べられたこともありました。父が蜂場に張り込んだ時には、重たい巣箱を持ち上げて地面にたたきつけたそうです。
年に数箱なら、まだ山への年貢とも思えますが、被害数が増えると事態は深刻です。昔は、山暮らしの狩人だった祖父をはじめ、父も「鉄砲打ち」でしたから、有害駆除の許可を得て、夜じゅう蜂場に張りついてやっつけていました。ですから、私は小さな頃からクマの肉を食べて育ちました。やけどをするとクマの油を塗り、腹が痛い時は苦い「クマの胆」をお湯に溶かして飲まされました。その効き目はいつも驚くものがありました。
祖父が亡くなり、父も鉄砲をやめ、クマの減少が囁かれはじめた20年程前からは、電気牧柵を設置するようになりました。それは、蜂場の周囲に、2段のワイヤーを張り巡らせ、電気を流しておくものです。クマがそのワイヤーに触れると、感電して驚き、しばらく来なくなるのです。ただし、設置や管理が大変です。全ての蜂場に設置することが望ましいのですが、移動をくり返す日本の養蜂では、とても大変な作業になってしまいます。しかも、草が伸びて触れてしまうと漏電します。日々、管理を徹底しなければなりません。なので、大抵はやられた場所に設置するようにしています。
これまで、私は野生のクマと4回会いました。会ったというよりは、いつもクマのほうが早く気付いて逃げていくところなので、 「見た」という表現の方が適切かもしれません。
その中でも、数年前のことが印象に残っています。父と仕事をしていて変な鳴き声が聞こえてきたのです。それは「クゥィ−、クゥィー」といったかん高い鳴き声です。私は、なにかアナグマなどの小さな動物の声かなと思いました。しかし、違いました。父は「クマが子を呼ぶ鳴き声だ」とおちついて言いました。私は、子連れクマと聞いて、襲いに来るのではとうろたえてしまいましたが、大丈夫でした。それにしても、それは意外な鳴き声でした。まるで、エコー抜きのイルカの鳴き声にも似ていました。それはそれで、ちょっとした感動がありました。
ハチ蜜の森キャンドル
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