秋葉山を観る 
(朝日町大谷)    
 


史跡・名所
 
秋葉山 

 標高224.6メートルの秋葉山は、戦国時代には本城である真木山城の出城として、曲輪・空堀・堀切など中世の城館跡の遺構が明瞭で、歴史的にも貴重な文化遺産となっている。平成10年に北部地区の文化拠点として山頂まで遊歩道等が整備され、子供も高齢者も容易に登ることができるようになった。学び・見る・遊ぶ場所として利用されている。

最上川と明神断崖と秋葉山

 三万年ほど前の最上川は、栗木沢から大谷地区を大きく迂回し、粧坂へと流れていたといわれている。(地図参照)やがて明神断崖付近を直線的に流れるようになり、大谷地区は沼地や芦のしげる湿地となった。秋葉山は川の浸食をうけず小山として残ったと考えられている。

登り口

 秋葉山の登り口は粧坂門、栗木沢門があるが、駐車場のある秋葉山グラウンドからのコースが人気となっている。山神の山を越すルートと、栗木沢門を経由するコース、グラウンドの東屋から沼を経るコースもある。入口には全体の地図があるので、地理を確かめてから登ることができる。

秋葉神社跡

 延享4年(1747)二代鈴木清助が山頂に秋葉神社を創建したことから、以後この山を秋葉山というようになった。秋葉神社は古くから火伏せ、商売繁盛の神として周辺村々の厚い信仰をうけてきた。頂上西側下には奉納相撲を行った跡が見られる。明治40年(1907)7月神社焼失、同43年(1910)1月再建した。その後、社屋の破損がひどく昭和59年(1984)に解体、ご神体は鈴木家の土蔵に安置し跡地に記念碑を建立した。

真木山城 出城跡

 戦国時代、大谷集落の南西方向に標高247.5mの真木山に真木山城(写真左)があり、東方の秋葉山(写真右)は森山と呼ばれ、東北の猿田楯と共に敵からの攻撃に備える出城(楯)となっていた。弓の矢に使ったといわれる矢竹は今も自生している。真木山城大谷家は血縁関係にあった大江家が天正12年(1584)に最上家に滅ぼされた時、最上家に仕えるのではなく農民として土着する道を選んだ。

『大谷往来』看板

 山頂に『大谷往来』の全文を表した看板が建てられている。『大谷往来』は、元禄7年(1694)大谷村の彦七が記したもの。自然豊かな大谷の四季を順序よく的確に美しい文章で書き表している。しかも短い文章の中で名所旧跡や神社仏閣、動植物、特産品など、300年前の村の様子が一目で分かり、『大谷往来』は、まさに元禄のエコミュージアムといえる。

頂上からの眺望

 山頂からの眺望は『大谷往来』に記述の通り蛇行して流れる最上川、釣り人や用の断崖、粧坂の家並みを眼下に見ることができる。平成10年「絵になる風景」受賞。樹々の葉にかくされない晩秋や初春がおすすめ。

 『写真で見る大谷郷』(同編集委員会発行)より抜粋 参考/掘敬太郎氏のお話


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秋葉山エリア概要
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