12. 古い橋の思い出

 今の橋の前の橋は、木でできていたな。あのころは、夏はヤマコバスで、冬はソリだった。バスが通ると、前の橋は栗の10センチくらいの敷板で、今みたいにボルトないので太いクギを打っていた。バスが来ると俺らたち待っていて、ガタガタガタガタ、ガタガタガタガタ来るのだな、それがおもしゃくてわざわざ行って待っていたのだな。橋の幅は車が2メーター50くらいだから3メーター20くらいじゃなかったべか。橋の上から大谷の風祭の花火見たものだ。
 今も、あの橋の橋脚が残っている、太い栗だな。だとすると、今の橋は、元の橋の上に、型組んだり、足場組んだりしたのだな、昔の橋は低いものだった。今の橋は高い高い、あの工事で道路の地形も変わったのだな。大隅側は、掘り割りで下って橋になっていた。栗木沢の方も元の道は二見屋の前を通っていた。だがらあのへんは、土盛りしたのだ。面白からトロッコ道作って大工事だった。俺ら子供心に、5万円かかったてきいたことあるな。
 今橋が新しくなるて聞いて、明鏡橋よご苦労様て言いたい、思い出の清流は戻らないが、別れた人、帰ってきた人いろいろいた、あの橋には思い出が一杯だ。そんな人のためにもなんとかあの美しい明鏡橋は残したいな。

 

 

(おわり)

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写真/掘敬太郎氏


『 明 鏡 橋 物 語   談/菅井敏夫氏 聞き手/西澤信雄
コミュニティー情報誌“朝日町新聞”平成10年6月号より抜粋


朝日町エコミュージアム