大沼の浮島を観る          
                                      (朝日町大沼)


史跡・名所
 
大沼の浮島  

 大沼は、標高310mの山あいの地にあり、南北約70mの小さな湖沼で、狐の形をしているといわれている。湖畔にある浮島稲荷神社の神池とされ、湖岸の老い松と四面の深緑が調和する神秘的な沼として千年余の間保存鑑賞されてきた。しかし、戦後周辺の自然環境が大きく変化したため六十余りあった浮島が十数個に減少した。昭和62年(1987)大沼地区民が主体となって「浮島を守る会」が組織された。

国指定名勝地

 浮島は風の向きなどに一切関係なく、静かに、あるときは走るように動き、すれ違ったり、一列に並んだり自由自在に遊泳する。大正14年に国の史跡名勝地に指定された。「…大小種々の島形の団塊となり、水面に遊し浮島をなせり。島形五、六十に達す。この島は風なくして除々種々の方向に運動し…奇観極まりなし。…全国浮島中最も著名なるものなり。」(指定理由書より抜粋)

句碑

 大沼には多くの文人が訪れている。古くは長徳元年(995)に藤原実方が二首の歌を残し、橘南谿(1754〜1805)は『東遊記』に紹介し全国に知られることとなった。湖畔の芭蕉句碑は享保から天明年間(1716〜88)に地方俳人として活躍し中央にも名の聞こえた鸞窓(大沼大行院43代)が建立したもの。またすぐ近くには、訪ねた記念に建てた大正14年(1925)の花の本聴秋の石碑や昭和10年(1935)の福田古道人の句碑もある。

鵲橋(かささぎばし)

 文化3年(1806)の浮島絵図面に「七夕の夜、牽牛星と織女星が年に一度の逢瀬をかささぎが翼をならべて天の川を渡したという故事によって名づけられた。神秘的で霊験あらたかな浮島にふさわしいところからこの名がある。また、相愛の男女がこの橋を渡ると縁が結ばれると伝えられている」とある。昭和55年(1980)に閼伽沼と共に復元された。

浮嶋稲荷神社

 大沼の発見は今を去ること約1300年前の白鳳9年(680)の昔にさかのぼる。大和国(奈良県)の修験者役の証覚(小角)が、その弟子覚道をともない、朝日岳を目指し修行の途中、大沼に着いた。島々が浮遊する神秘的な影に感動した役の証覚が、湖畔に浮島稲荷神社をまつり、弟子覚道に託したとされる。祭神は「宇迦之御魂命」「天熊之大人神」。例祭は5月5日。

石灯籠

 拝殿前の二基の石灯籠は、元和7年(1621)最上義光の孫にあたる13代山形城主最上義俊(家信)が進納したもの。幢身(竿)には、最上一族のお家騒動のなかで、最上家の武運長久を祈願し、この難局をきり開くために知見を求めている17歳の幼主の心境がきざまれている。一基は熊野権現に寄進されたもので、明治初期浮島稲荷神社に合祀された折に移されたもの。朝日町指定有形文化財。

大行院

 別当大行院は役の証覚の弟子覚道の直系であり、現当主は54代目を数える。浮島稲荷神社は、源家、徳川家、大江家、最上家など時の権力者の尊崇厚く祈願所として加護を受けてきたことから、多くの貴重な文書が所蔵されている。

 

宿坊の村だった大沼地区

 かつて村には、大行院を中心として三十三坊と呼ばれるたくさんの宿坊(修験者の宿泊所)があり信仰集落の母体となっていた。

 抜粋 /『写真で見る大谷郷』同編集委員会発行
   参考文献 /『ふるさと朝日町散歩』朝日町広報委員会、
       
『名勝大沼の浮島』『よみがえれ大沼浮島の響き』朝日町エコミュージアム研究会


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