明神断崖周辺を観る    
      (朝日町真中・舟渡・大江町用)  


史跡・名所
 
明神断崖(通称/用のはげ)

 最上川舟運の舟人達を圧倒した名所。黄金の橋や竜神伝説が残り、周辺地域には、ヤマガタダイカイギュウ化石発掘地、上川原山ノ神縄文遺跡などがあり、遥かな歴史を想像できる場所となっている。断崖は最上川を境にした大江町用地区にあるが、朝日町側から全容を見ることができる。

最上川最大の絶壁

 水面より170mの高さを誇る最上川最大の絶壁。舟運盛んだった江戸時代の舟人たちを圧倒した名所と伝わる。大朝日岳山頂からも確認できる。

 

沈提(ちんちょう)

 明治時代の大土木工事。寒河江市、中山町、山辺町の水田を潤す用水のための取水堤が設けられた。

東日山 昌城院(しょうじょういん・真中)

 心鏡(しんけい)上人は、断崖頂上の明神と稲荷明神の間に黄金の橋が架かり明神が仲良く遊んでいる神秘的光景を見た。この地こそとどまるべき地と決めた。境内に江戸大火の火を消すために水をかけたと伝わる“男石・女石”がある。心鏡上人は、大井沢大日寺中興の祖と謳われた道智上人の弟。
  文禄三年(1594)開創。本尊/地蔵菩薩 真言宗智山派

稲荷大明神(真中)

 昌城院と隣接する。心鏡上人が見たという黄金の橋はこの稲荷明神と向かい合わせの断崖頂上に架かったとされる。例祭日は4月19日に近い日曜日に行われる。

山ノ神社(舟渡)
 寛文10年(1670)創建とされる。享和3年(1803)に奉納された「前句付け」の俳額は、朝日町で一番古く、西村山郡内でもニ番目に古い。竜の絵馬もある。例祭日は4月第ニ日曜日。昭和55年頃に台風により社が壊れた雷神も合祀してある。例祭日は4月20日。祀られている12基の石仏の中に弁財天の大きな石塔もある。
上川原山ノ神縄文遺跡(舟渡)

 平成10年(1998)に発掘調査が行われ、大きなものでは直径40センチの木の柱が24本発掘された。約3000年前の縄文時代晩期と考えられる。縄文遺跡における柱根の発見は県内ではじめてなので大変注目されている。調査は一部区画のみだったので広範囲で調べればさらに見つかる可能性がある。※現在は埋め戻してある。

ヤマガタダイカイギュウ発掘地(大江町用)
 昭和53年、用の当時小学6年生だった斉藤正弘君と渡辺政紀君が発見。ヤマガタダイカイギュウは800万年前の海にすんでいたほ乳類で、ステラーカイギュウ(18世紀に絶滅)の祖先にあたるものではないかと考えられている。 海牛類の進化を知る上で世界的に貴重なもので県指定文化財となっている。
補陀山 徳昌寺(大江町用)

 大永ニ年(1522)中山町長崎円同寺第6世領山呑察の開創。ご本尊は「如意輪観世音菩薩」。曹洞宗。

如意輪観音の影

 日当りの良い日の午前10時過ぎになると、断崖の岩壁に、舟形光背の観音様の影が現れる。(真中・堀庄一さん談)右手を頬によせ首をかしげる如意輪観音の姿に見える。真中の稲荷神社や昌城院からよく見ることができる。如意輪観音は徳昌寺のご本尊。

厳島神社(大江町用)
 明神断崖頂上に鎮座。大永2年(1522)に、徳昌寺の領山和尚が弁財天を祀り再建した旧弁財堂。天保14年(1843)稲荷明神を合祀。明治の神仏分離令時に市杵嶋姫命を祀る厳島神社となった。舟渡山ノ神社のものと同じ年享和3年(1803)に奉納された大江町で一番古い前句付けの俳額や、朝日町中沢の掘次郎右ェ門(周玉)作の騎馬武者絵馬と俳額がある。
竜の絵馬

 厳島神社には三枚の竜の絵馬が奉納されている。社伝には「当社右に竜神ありと言い伝う。懸崖に穴あり故に穴山と云う。里人祈願の時穴の辺りに新餞を供えて祭る。按ずるに龍神はおかみ神を云う。」とある。
 地元斉藤高治氏さんによると「戦後頃までは竜の穴に生卵を供えて祀っていた」と。似ている竜の絵馬は舟渡の山ノ神社にも1枚ある。

 

竜の雲

 明神断崖のあたりには、朝方に最上川から上がる細長い雲(霞)がよく見られるが、この写真は絵馬と同じ口を開けた竜の顔に見えたもので、山形新聞で紹介され話題となった。
写真1
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明神断崖頂上からの眺望
 厳島神社裏から朝日連峰大朝日岳を正面に美しい朝日町の風景を眺望することができる。足許に注意。

 参考文献 /『写真で見る郷土 大谷郷』(同編集委員会)『海牛の里』(用公民館) 斎藤高治さんの資料
      『朝日町史 上巻』朝日町教育委員会 他



※分かりづらい場所もございます。案内人の利用をお勧めいたします。

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