(現在の明鏡橋は昭和12年に完成した鉄筋コンクリート製の美しい橋である。ここに始めて橋が架かったのは明治8年で、明鏡橋こそ最上川の架橋の中で最も古い橋である。)

.川遊び

 明鏡橋の下流がおらだの水遊び場だった。夏になって駐在所の巡査さんの制服が上だったか下だったか、忘れたが白い制服に変わると水泳ぎをしてもいいという合図だった。これより早く泳ぐと学校で
 「だれだれさん川で遊んでいた」 って、つげ口みたいのされて先生からごしゃがれたんだな。でも待ちきれないで遊んでいたな。
 ちょうど明鏡橋の下流は大隅の水遊び場だったが、それと相対して反対側に、栗木沢の、水遊び場があった。当時最上川の水遊び場は和合と川通、船渡と助の巻、どこも必ず相対してあったものだ。
 最初のうちは泳ぐの一生懸命だが、そのうち休むものや、体あぶるものもいるな。女子衆なんか帰ると、必ずっていいほど、けんかよ。けんかはまず悪口からはじまった。その言葉も決まってんなよ。
 「向いのやろべら、アンコロ食うか、栗食うか。栗まだいぇまねぇ、アンコロ食って待ってろ」
 アンコロって、飴玉や、アンコロ餅のことでねぇな、馬のくそのことだべ。いぇまねぇてのはまだ熟してないてことだ。こんな悪口は栗木沢の人も使ったな。どこの部落でも使ってたんじゃないか。
 そうして休んでいると、川遊びに使う木の根や木の板、あいづら向かいに持っていぐなよ。そんでけんかになったけな。木の根とか木の板は、川に投げたり乗ったりつかまったり、さまざまして遊んだなよ。こんな木の板をおいて置くと、こそっと持っていぐなだけ。
 「見でだげんとな、潜水艦のようにくぐってきてよ」
て、とられだ人言い訳していた。そうすると、今度はとり還えさんなね。


(つづく)

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『 明 鏡 橋 物 語   談/菅井敏夫氏 聞き手/西澤信雄
コミュニティー情報誌“朝日町新聞”平成9年8月号より抜粋

 


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