(現在の明鏡橋は昭和12年に完成した鉄筋コンクリート製の美しい橋である。この工事中に発見されたのが“大隅の旧石器”である。)

2.出合い

 そうすっと、今度は最上川をはさんで栗木沢と大隅で石投げよ。俺はまだ小さくて石投げても届かねから、大将みたいのに石を渡す係ったな、雪合戦のように。そだな石あたらなかったけどな。それに、石あてても悪いってわかってたから。けんかしたって限度があってな。例えば兵隊ごっこしたってもルールがあって、ここから下は切って悪いとか、敵、味方分けるにもバランスよくガキ大将が分けてくれたものよ。同じ組だけでなく入れ替えしてな。ルールはあったんだ。
 石投げが終わると今度は両方とも明鏡橋まで走って行った。そこでまたけんかよ。でも栗木沢側は県道あったので早いけど、大隅側は崖みたいの登っていくので遅いのったな。でも互いに越境しないで橋の両側からの言い合いになんなだ。明鏡橋が大谷と和合の境になっていったけよ。
 境と言えば、こんなことあっけ。青年団の頃は夜になると和合小学校のグランドに電灯つけて、そこで三段跳びや高跳びの練習したんだ。そして長っ走り、長距離走の人なんかは、大谷や宮宿に走って行って、帰ってくるのが9時頃ったな。そして明鏡橋の上で川風に吹かれて汗をふいたり休んだりしたもんだ。すると大谷側からもここさ休みにくるから、若い男女の出会いの場になったのったな。そこでカップルになると、この橋の上だと隠れる所何もないから、いいカップルはダッキの方に行ったんじゃないかと俺は思うなあ。
 この橋で知り合って結ばれた人は何人もいる。そんな人にはこの明鏡橋は大切な橋だべ。なんとかこの橋は残さんなね。  

(つづく)

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『 明 鏡 橋 物 語   談/菅井敏夫氏 聞き手/西澤信雄
コミュニティー情報誌“朝日町新聞”平成9年9月号より抜粋

 


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