10. 二見屋の四郎君

 イカダ下りを考えたのは、二見屋の遠藤四郎君たな。だから、ゴムボート下りになっても、先人の四郎君のことを忘れたらなんねいて、いつも話すんだ。
 四郎君の家は昔からっ料理屋ていうか、旅館だった。湯小屋もあったな。明鏡橋の下流千メートルくらいのとこに、お湯ていうか、鉱泉が出たのだな。白く濁っていてツルツルという湯だったな。対岸の大隅側にも同じように白く濁った水が出た、横岩ていったな。
 この水がセンキとか皮膚病にきくというので風呂に持ってきて湯治したのよ、川の流れと反対だから手押しポンプで桶にいれてカケヒていうか、二見屋の風呂まで運んで、湯小屋ていってた。風呂賃は、たしか二銭ではやったものよ。ツルツルとしたいいお湯だった。
 そういえば悲しいこともあった。
 そのころは、増水すると、「川木拾い」というのがあったな。大水で最上川流れてきた材木を薪にするため拾ったのだ。最初に見つけた人は、俺のだって分かるように木の上に石置いたものだ。川木拾いでまだ岸につかないの鳶口で引いたり、ワッカかけたりして岸までひいたのよ。最上川流れている木をよ。
 それに木拾いしていた四郎君の親父、引っ張られたのよ。そして流れていったのよ。そして、「四郎、四郎」てよびながら、どんどんどんどん流されて行ったのよ。波に隠れ隠れしながら、流れたのよ。四郎君必死になって、川岸でなく農道を走って、追っかけたのよ。そして、とうとう流されてしまったのだ。風呂焚く薪でも取っていたのだべ。四郎君なんぼかつらかったべな。

(つづく)

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『 明 鏡 橋 物 語   談/菅井敏夫氏 聞き手/西澤信雄
コミュニティー情報誌“朝日町新聞”平成10年4月号より抜粋


朝日町エコミュージアム