3 別れ

 一番思い出あるのは出征兵士よ。昭和10年頃だったからまだ支那事変始まったころだね。そのころは宮宿から大隅の水浴び場まで送ってきたのだな。ちょうど明鏡橋の架け替え工事の頃で、出征兵士は渡し舟で渡ったもな。そこで「バンザイ、バンザイ」て見送ったものだ。宮宿の人が出征すると、小学生は四ノ沢の杉の木のあるところで別れ、高等科以上の人は明鏡橋まで送りにきた。先頭に「祝出征」て書いたのぼりを持って何人も並んで見送りにきた。奉公袋ての下げて、寄せ書きした日の丸の旗持ったりしてな、なかには、軍艦旗なんて派手なの持っていたな。
 出征兵士は、こう敬礼して、あいさつは
「一意専心軍務に精励し、皆様方の期待の万分の一にも答えるつもりであります。行って参ります。」て、いかんなんねいのだな。
 子供のころは、この言葉が付き物だと思っていた。川縁で「バンザイ、バンザイ」て日の丸が振られ、舟の上からも手が振られ、あの最上川の美しい川面に、船に乗っている兵士の振る日の丸が写るんだね。波がキラキラ揺れて白と赤の日の丸も揺れて美しかった。本当は喜んでいらんなんねいのだが、その奥さんなんかは喜んでないな。涙を見せまいとして難儀してたであろうと、子供心に思っていた。俺ませていたので。でも戦争反対なんてなく、よし俺もって見送ったものだ。明鏡橋できてからは、手前に土盛った台がありそこに出征兵士立って、見送った。クラリネットとか青年団の大太鼓、小太鼓鳴らして、俺も昭和19年3月だった。もう帰ってこれないと思ってた。宮宿も五百川の人も皆そう思って明鏡橋を渡ったと思うな。

(つづく)

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『 明 鏡 橋 物 語   談/菅井敏夫氏 聞き手/西澤信雄
コミュニティー情報誌“朝日町新聞”平成9年10月号より抜粋

 


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