5. ダイセン下り

 あの頃は、まだ、最上川の水がきれいだった。川底が岩の盤だったから、今みたいヌルヌルは絶対していない。ツルツルもしていない、水アカなんてなかった。きれいな岩だった。底まで見えるのよ、だとハヤがキラキラ泳いでいるのが見えるのよ。子供心にワアーて、ワクワクするのよ。しめったくってよ。でも底をスウーて逃げていった。子供には無理だったな。
 深いところがあると、先輩たちが石をもていって積むのよ。水の中だと石も軽いったね。グーと水の中石抱いていって積むのよ。積んでそこまでたどり着かせる、休憩所たね、そうして遊んだ。そんな場所は川の半分までは行かないな。三分の一とか、そんなとこに作って、「そこまで行けるは」とか「たどりついたは」て、胸躍らせていたな。
 そこまで行けないと、先輩たちが抱えて行って「おっかない、おっかない」て言っても、「大丈夫、大丈夫」て、連れて行って、そうして、「バイバイ」て先輩達行ってしまうのよ。その頃バイバイて言葉なかったかもしれないけどよ、そだと泣いたりしたな。
 それからおもしろかったのは、「ダイセン下り」ていって、今のガンガン、面白のダッキのあたりだべな、あそこに明鏡橋越えて歩いていって、あそこ今より波あったのだな。そして親方が、「よし行くぞ」て、前と、後ろに先輩ついてその波を越えた。そうなるともう上級者だな。
 さらに向かいまで行くこともあった。最上川を泳ぎ切るには、ここからここを目指して泳ぐのだと先輩が教えてくれた。真横に泳ぎ切れる人なんて誰もいない、皆上流から斜めに下流に泳いだ。俺は下手だったから2回とかした事ない。うれしかった。

 

 

(つづく)

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  写真/掘敬太郎氏


『 明 鏡 橋 物 語   談/菅井敏夫氏 聞き手/西澤信雄
コミュニティー情報誌“朝日町新聞”平成9年12月号より抜粋


朝日町エコミュージアム