● 蜜蝋キャンドルのひみつ ●


ミツバチの巣で作る蜜蝋キャンドル
  蜜蝋キャンドルは、100%ミツバチの巣だけで作るろうそくです。灯芯に巣を巻き付けただけでも、充分きれいなあかりが灯ります。ろうそくのはじまりは、この蜜蝋キャンドルといわれています。






ろうを作るミツバチ
 ミツバチは、蜜をたくわえられる防水性の巣を作るために、腹部から「ろう」を分泌し、巣材としています。「蜂ろう」と呼ばれるこのろうを分泌するためには、10倍の量のハチミツを食べなければならないそうです。このミツバチの巣を精製したものを「蜜ろう」と呼んでいます。
 一匹のミツバチが、生涯で集められるハチミツの量は小さなスプーン1杯分ですから、一本の蜜蝋キャンドルには、数えきれないミツバチ達の労力がかかっているといえます。


はみ出た巣の収穫
 ミツバチは、春から夏、花がたくさん咲き、家族が増える季節になると、巣箱の中の巣枠の外側やちょっとしたすき間にも、どんどん新しい巣を作ります。放っておくと、巣箱に巣板がくっ付いてしまい、作業がしづらくなりますので、見つけるたびに取り除かなければなりません。また、巣穴にたくさんの蜜がたくわえられると、ミツバチは保存のために、ろうで巣穴にふたをしてしまいます。ハチミツ収穫の時は、その「蜜ぶた」もナイフで切り取ります。
 それら養蜂で仕方なく採れてしまう巣を収穫・精製したものが「蜜ろう」です。

みつろうの色は花粉の色
 ミツバチの巣は、季節の花により“色”が違います。それは、ミツバチがろうを作るために食べるハチミツの中に溶け込んでいる花粉の色によるもので、トチの花が咲くとオレンジ色、キハダの花が咲くと黄色の巣に変わります。この天然の色は、蜜ろうの色にも鮮やかに、そのまま現われます。

精製(せいせい)
 収穫したミツバチの巣は、質が悪くならないように、すぐに精製を行い、不純物を取り除きます。 精製は、たくさんのお湯で溶かし、有機質な汚れを落とし、ろ過器で濾します。冷えれば、汚れた水と蜜ろうが上下に分かれて固まり取り出すことができます。

ハチ蜜の森キャンドルの蜜ろうについて

ハチの巣材は様々
  すべてのハチが蜜ろうで巣を作っているわけではありません。アシナガバチやスズメバチは、樹木の皮などを集め、自分の唾液で溶かして紙製の巣を作っています。またジガバチなどは、土と唾液を混ぜ合わせたモルタル作りです。

蜜蝋キャンドルの製造
 ハチ蜜の森キャンドルでは、型抜きをはじめ、糸にろうをかけたり、浸したりして少しずつ太らせる方法など、様々な方法で製作しています。蜜ろうそくは、油煙が出ず、点灯時間も長く、静かにやさしく灯ります。

食べられるミツバチの巣
 蜜ろうは唯一の「食ろう」です。日本ではなじみがありませんが、欧米では巣ごとハチミツを食べる習慣があります。体に良い成分も、たくさん含まれているそうです。
 蜜ろうを使ったお菓子“カヌレ”は有名です。

活躍する蜜ろう
 蜜ろうは、安全性や融点の高さ、やわらかい性質から、ろうそくの他にも、さまざまな分野に使われています。口紅やリップクリーム、コールドクリームなどの化粧品。座薬や軟こうなどの医療品。ガムや焼菓子などの食品。靴や床、自動車などのワックス類。その他にも模型、染色、油絵の具、クレヨン、印刷、絶縁材、鋳造、グリース、植物の継ぎ木など、私たちの生活に欠かせない多方面の材料に使われています。

古くて新しい蜜蝋キャンドルの歴史
 「蜜蝋キャンドル」は、紀元前に使われた最も原始的なろうそくといわれています。日本でのろうそくの始まりも、奈良時代の仏教伝来とともに中国から輸入され使われていた「蜜ろうそく」だそうです。残念なことに、平安時代に中国との交通が途絶え、輸入されなくなってしまいました。国内における蜜ろうの生産は、野生種のニホンミツバチが養蜂には適さない習性ゆえにほとんど行われず、それに変わるものとして漆やハゼの実で作る「木ろうそく」が作られるようになったのです。本格的に蜜ろうの生産ができるようになったのは、明治時代初期にアメリカからセイヨウミツバチが導入されてからでした。しかし同じ頃、コストの安い「パラフィンろうそく(石油系)」が作られるようになり、蜜ろうはあっても、蜜蝋キャンドルは作られなかったのです。
 そして昭和の終わりに、養蜂の盛んなここ朝日連峰の山麓に、日本で初めての蜜ろうそく工房「ハチ蜜の森キャンドル」が誕生しました。


森一番の蜜源樹  トチノキ
 広葉樹の深い森にはたくさんの蜜源樹(植物)が自生しています。ただ、収穫できるほどたくさんの蜜を出してくれる蜜源樹は限られています。その中で、最もおいしいたくさんの蜜を恵んでくれるのがトチノキです。100年以上のトチノキは、一日に一斗(18リットル)の蜜を出すと云われています。湿った水はけのよい場所を好み、沢沿いや川沿いに多く見られます。山形では、5月中頃にソフトクリームのような花を木一面に咲かせます。秋には、栃餅の原料になる大きな実“とちっぷ”を、たくさん実らせます。
  

朝日岳山麓の養蜂の営み
  日本では近世まで、ハチミツはニホンミツバチ(山蜂)から得ていました。木のほらや石洞などに作られた野生の巣から収穫したり、巣別れしてきた群を、樽や木箱に大事に飼って収穫していたそうです。朝日連峰東麓に位置するここ「朝日町」でも、もちろん同じような文化がありました。蜂が騒がない冬に収穫をしたとか、木の伐根を利用して飼っていた話は数多く残っています。しかし、二ホンミツバチは養蜂に適さない性質ゆえに、収量もわずかで、そのハチミツは貴重な甘味料や薬として使われていたようです。朝日町にセイヨウミツバチによる近代養蜂が始まったのは大正末期でした。里場では、田んぼ一面に植えられた「レンゲ」や「ナタネ」、あぜにたくさん咲いた「クローバー」そして「柿」などから、また山間地では「トチ」や「キハダ」を主とする、さまざまな広葉樹から蜜を得ていました。戦後には、蜜源を求めて移動する転飼養蜂家も訪れるようになり、町内でも二軒、専業の転飼養蜂家が誕生しました。しかし昭和四十年代以降、里場では稲作や畜産の簡素化からレンゲ、ナタネの作付けがなくなり、さらに果樹のスプレヤー消毒、水田の航空防除など、殺虫剤の広範囲な使用が始まりました。これにより里場でミツバチは飼えなくなってしまったのです。また、山間地では、国で進めた拡大造林事業により広葉樹が伐採され、多くの蜜源を失いました。それでも全国的に見れば、とても恵まれた場所といえますが、蜜源に限りができてしまったのは残念なことです。
                        
育てるハチ蜜の森
 昭和42年(1967)、当時国が進めていた拡大造林事業による森林伐採により、森から蜜源樹がなくなってしまうことを心配した山形県の養蜂協会は、全国に先がけ植栽をはじめました。雪で倒されたり、枯れたり、苦労がいりますが、これまで1万本以上の「トチノキ」や「キハダ」の苗を植えてきました。トチノキは、花が咲くのに15年以上、たくさんの蜜を出してくれるようになるには50年はかかるといわれています。

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